土生の見どころ

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土生の見どころ

土生港

因島では最も規模の大きな港で、ここから四国や本州・三原などへ船が運航されています。また、広島バスターミナル、福山駅、尾道駅からはバスも運行されていて、終点・始発はこの土生港であるものが多い。市民にとっては重要な交通拠点なのです。

昔は、結婚されるお二人が船に乗り土生港から旅立って行っていました。
今でも高速船が到着するときには「瀬戸の花嫁」が船内で流れるんです♪

因島のゆるキャラ、はっさくんと記念撮影ができるよ♪

サバ大師

弘法大師(空海)の奇跡を伝え受け継がれる伝説は全国各地にあるが、因島の「鯖大師」のお話もそのなかの一つ。
言い伝えによると、魚の行商人が鯖が売れないで腐りかけ困り果てていたところ、一人の旅僧が通りかかり鯖にふれると生き返った説。みすぼらしい姿の旅僧につめたくあたり、桶の中の鯖が腐ってしまった、というバチ当たり説。日本一大きいと言われる高さ5メートル、重さ10トンの弘法大師の銅像を見に来てください♪

テレビ塔からの眺望

因島公園のテレビ塔(天狗山頂)からは生口島をはじめとする瀬戸の島々と因島の街の 光が見える特徴的で珍しい夜景を望むことができます。

連なる島々はまさに瀬戸内 らしい風景、夜景といえると思います。

長崎桟橋/長崎城跡

長崎城は、因島の南部に位置する標高20Mほどの丘にあった海城です。現在、ホテルが建っている場所には郭が三段ありました。現在、周辺は埋め立てにより、当時の状況が分からなくなっていますが、この城は半島のように突き出ていたと考えられ、周りには船隠しがあったと推測できます。

防空壕跡

因島空襲(いんのしまくうしゅう)は、太平洋戦争中の1945年3月19日と7月28日に行われた、連合国軍空母機動部隊航空隊による、広島県の因島での空襲。破壊目標となった日立造船の社史には簡素に書かれているのみで、広島県および旧因島市(現尾道市)の歴史資料ではほとんど扱っていないため、詳細な被害状況がわかっていないのです。

大山神社

因島 大山神社、耳の神様もいる 一風変わった丘の上の神社 – 耳明神社(みみごじ んじゃ)は耳の神様がいる神社。耳明神社は大山神社の敷地内に あります。毎年3月3日「耳の日」には耳祭りも開催しております。

因島村上水軍陣太鼓 誕生の地

昭和49年に村上水軍の兵法書「一品流水学集」に記された鼓譜を基に、船団が出陣の合図でほら貝を吹き、太鼓の音に合わせて船を進め、また太鼓の合図で戦法を伝え陣形を作ったとされる当時の因島村上水軍の活躍を表現しています。

  代表曲の「胡蝶の陣(こちょうのじん)」は因島村上水軍の戦法の中でも最も恐れられた陣形から名前をとり、あたかも蝶が舞うが如く軽快にそして勇壮に戦った姿 を表現したものです。

宮島さん協賛いんのしま水軍花火大会(土生港周辺)

瀬戸内海の島々をバックに約3000発の花火が30分間連発で打ち上げられ、迫力満点です。
一般公募で選ばれたデザイン花火や、願い玉花火など、それぞれの想いが込められた花火の打ち上げもあり、他の花火大会とは一味違った花火をご覧になれます。
因島に夏を告げる花火大会に、ご家族・お仲間の皆様と一緒に、ぜひお楽しみください。

いんのしまさくら祭(因島公園)

因島の南に位置する天狗山(207m)一帯が公園となっています。春は1000本もの桜、秋は紅葉を楽しむことができ、ここから見る夕日は「因島八景」に選定されています。
公園内には因島ゆかりの作家の句碑がある「つれしおの石ぶみ」や林芙美子「放浪記」の石碑など文学も楽しむことができます。

土生町秋まつり

因島の秋最大のお祭り。
江戸時代から続く「曳船(ひきぶね)神事」は、船を山上の神社まで引き上げる全国的にも珍しいお祭です。
また55段の石段を神輿や団車(だんじり)が上りあがる勇壮な「がんぎ神事」も見どころのひとつです。

進水式

進水式(しんすいしき)は、造船において造船台で組み立てられた新造船舶を初めて水に触れさせる作業・儀式のこと。進水式と同時に船の命名式が行われるのが通例。進水式が終わると、艤装が開始され、それが終了するとようやく竣工し船舶として完成体となります。(Wikipediaより引用)

宮島さん(厳島神社)

土生町大山神社の秋祭りには,お旅所(たびしょ)になっています。
宮島さんとは は厳島神社であって,海の神であり,祭神は宗像三女神であります。
即ち,奥津島比売 命(おきつしまひめのみこと)市杵島比売命(いちきしまひめのもこと)多岐津比売命 (たぎつひめのみこと)であり,安芸の宮島も同じ神を祭っているそうです。

普段は地域の方が、そろばん塾、カラオケなどの集いの場に利用しています。

村上水軍の弓 並びに馬場跡

この地に南北朝時代当時長崎山城の弓・馬場の練習場がこの辺にあったそうです。 この辺はおそらく,海岸線だと思われますが,この標識の側の中に,それらしきもの が70年前に見たと言われていますが,今は溝の中に岩がわずかに見えます。